今の夫と結婚して以来、長期短期も含め全部で7つの国に住みました。
英語教師というのは世界中どこへ行っても仕事があるという強みがあるのも確かですが、夫はとにかくいい仕事を見つけるのが上手いというのか、才能があるというのか、鼻が効くというのか・・・秘訣はなにかというと「ネットワーキング」。
2017年の1月にそれまで勤めていた会社をやめ、個人事業主として日本語教師一本で仕事をしていくことになったとき、どうやって「教える仕事」を見つけるかが大きな課題でした。
もともとアムステルダムの日本人コミュニティとはつながりがほとんどない上、日本語を教えている日本人も、習っている非日本語母語者も周りには誰もいない。夫が働いている語学学校にも日本語コースはないし、エージェンシーにも日本語教師派遣の仕事は全くなし。
日本語を勉強したいというニーズがあるかどうかもわからない・・・・(オランダ語がわからないので情報が入ってこないんですね 涙)
そこで私も夫を見習ってネットワーキングに励むことに。
ネットワーキングは職種に関係なくフリーランスにとっては欠かせない活動で、それ自体が仕事の一部と言っていいほど。もちろん最終的に仕事に結びつくことが目的だったわけですが、今思うとアムステルダムでのネットワーキング、職探しは私にとっては文化比較研究的な貴重な経験になりました。オランダの、アムステルダムのユニークさを身をもって体験することができました。
経験その1
アムステルダムにある語学学校に片っ端からCV(履歴書)を送りましたが成果はなし。
次にアムステルダムにある日本語関係のお店(レストランは除く)にコンタクトを取ってみました。その中でRoppongiという当時Rozengrachtにあった日本雑貨のお店のオーナーから「日本語を習いたいといっているお客さんがいるから連絡してみて」と返事がきまた!!早速そのお客さんにメールを送ると同時に、お礼を言うためにお店のオーナーと直接会う段取りをつけました。
RoppongiのオーナーIngrid(お店は無くなりましたが、今でもウェブショップでビジネスは継続しています)はライデン大学卒で日本語がペラペラ。長崎のハウステンボスで仕事をしたこともあります。とても気さくで話もどんどん弾みました。そして別れ際に「アムステルダムのVolksuniversiteit(市民大学といったところかな)で日本語を教えているんだど、上のレベルはやっぱり日本人の先生がいいと思うのよね。9月からだからちょっとまだ先だけど教えてみる?」と聞かれ、二つ返事でOKしました。
「校長にちょっと話してみるから待ってて。」ということで、ほどなくその校長先生からメールが来て「オフィスでお茶を飲みながら話をする」ことに(注:インタビューではない)。オフィスでお茶を飲みながら、どうしてアムステルダムに住んでるの、アムステルダムはどう、なんていう普通のこと(私の経歴や日本語教師としての経験についての質問はなし)を話して、「じゃあ、9月からのコースよろしく。近づいて来たらまた連絡するから。そうそう、EメールでCV送っておいてね。」・・・・
経験その2
同僚がTwente大学(アムステルダムを東へ東へと行ったドイツとの国境近くEnschadeにあります)で英語を教えているのでEメールを送ってみたら、と夫に勧められ、大した学歴もないのに・・・と躊躇しつつコンタクトすると、夫の同僚からTwente大学の語学センターのコーディネーター(一番偉い人)に連絡してみて、と返事が。コーディネーターにメールをすると「こんどアムステルダムに仕事で行くから会いましょう。」といきなり会うことに。それと同時にLinkedInでコンタクトリクエストがきました。
LinkedInを通じて私の経歴はすべて知っているからか、今までどんなところで日本語を教えていたのか、どんな仕事をしていたのか、日本語を教えるためのどんな資格をもっているのかといったような、いわゆる就活での面接で聞かれそうなことはまったく聞かれず、私の名刺にある「Japanese Language & Culture Coach」という肩書きが目を引いたのか、文化と言語の関係について、文化を教えることについて話が弾みました。
Twente大学には日本語のコースや授業はないけれど、日本文化、日本語に興味を持っているオランダ人が増えているからか、この大学でも日本に短期留学する学生は年々増えているとのこと。学生を対象にした日本語・日本文化の一日ワークショップをしてくれないかとの申し出を受け、年に数回一日ワークショップ、数時間のプレゼンテーションをする他、現在は日本文化、日本語を対象とした個人プロジェクトに取り組んでいる学生のチューターをするなどお付き合いの幅も広がっています。
経験その3
夫が働き始めたアムステルダムの大学付属の語学学校から、新しく日本語コースを始める予定があり、日本語を教えられる人がいたら紹介して、という話が舞い込みました。早速マネージャーにメールを送ると、一度話しましょう、とオフィスに招待されました(注:これも「インタビュー」ではない)。今まで同様、どうしてアムステルダムに来たの、今どんなことをしてるの、といった話の後に、いつから仕事が始められるか、どんな教科書を使ったらいいと思うかといった話になり、じゃあ、夏の集中コースから日本語も募集をかけるんでスケジュールを開けておいてね、という流れになりました。そして別れ際に、一応CVをメールで送っておいてね、と。
この3つの経験に共通しているのが、敷居の低さ、オープンさ、人と繋がることを大切にする姿勢。
まず履歴書ありき、というのが日本に住んでいた時だけでなくオランダで日本企業対象に私が就職活動をした時に感じたこと。言わずもがな、学歴(どこの大学を卒業したか)、職歴(どんな会社で仕事をしていたか)がその人がどんな人かを判断する材料になります。
私がオランダで日本語を教えるために会った人たちから受けた印象は、学歴や職歴で人を判断するのではなく、その人がどんな人なのか直接会って話をして自分の感覚を頼りに判断することを大切にしているということ。だからまず会って話をする。直に話をして手応えがあれば、じゃあ、お仕事お願いします、ということになる。それが仕事を引き受ける側にも伝わってくるから自信にもなるし、いい仕事をさせてもらいます、ということにもなる。
どうやって大学関連の仕事を探したのか、ネットとかで公募してましたか、と時々他の日本語教師の方から聞かれることがあり、夫の知り合いの紹介でというと「ああ、コネね」と一蹴されてしまうのですが、私は(自分のプライドを守るためだけでなく)コネで仕事をいただいたとは思っていません。
これは特にアムステルダムだからなのか、語学教育の分野だからなのか、たまたま私がラッキーだったからなのか、それともこの三つ全部が理由なのか、あるいは全く別の理由があるのか、他の日本語教師の方たちの例をあまりよく知らないので何とも言えないのですが、私が以前に住んだことのあるイギリスともアメリカとも全く違っています。
アムステルダムに移り住んで10年が経ちました。オランダは懐が深く寛容な国です。その中でもアムステルダムはおそらく世界でも最もリベラル度が高い街の一つといえるかもしれません。もちろんどんな国、街にもいいところもあれば、あまりよくないところもあります。それでも、これからもアムステルダムにずっと住みたい、というのが夫と私のささやかな願いです。
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